エビオン派について

キリスト教とは何か、現代日本に生きる僕らはよく知らないと思う。

おそらく、近代ドイツや中世ローマに生きる人達もよくは知らないだろうし、古代ギリシア人やユダヤ人だって実のところわかっていないのだろう。

今回はそんなキリスト教の成立の話。

 

昔から常々謎に思っていたことがある。イエス・キリストの死と復活の教義だ。

彼の復活を信じる者は救われる。この教義こそキリスト教の核心だと理解している。使徒パウロも「そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」(『コリントの信徒への手紙一』第15章14節)と語っている。

けれど疑問に思ったことはないだろうか?

なぜ、彼の復活が直接、救いに繋がるのだろうと。

彼が十字架に架けられた理由はアダムから続く原罪を濯ぐためとは聞く。なるほど確かに、ユダヤの文化的風習には罪を犯した際の捧げの儀礼があったのだろう。彼は全人類の犠牲になった。

なら復活は?

人類から原罪を取り除くことが救世主として彼に課せられた使命だったのなら、なぜ彼は復活したのだろう。彼の復活と原罪に関わる使命とは――率直に言って――関係性ないように映る。死と、そこからの復活の教義はどうにも別々に発展したように見えてしまう。

もちろんこのような疑問を神父さんや牧師さんに聞けば、永遠の命の教義や神の権威について教えてくださるだろう。あるいは終末の前触れという話もしてくれるかもしれない。ともあれ原罪とは別の観点だ。こんな調子で復活は教義上必要がないと考える原始キリスト教徒もいたのかもしれない。でなければパウロが復活がなければ宣教も信仰も無駄だと反論する必要がない。

すると復活の教義は現在キリスト教の核心であるとされながら、その成立の初期において、あるいは取り除いてしまえるものだったのだろうか。

なぜ彼の復活を信じることは救いに直結すると、原始キリスト教は考えたのだろう。そして、救いの論理はどのように組み立てられていたのだろう。

 

ところで、これからエビオン派の話に移るわけだがその前に、現在正統派として残り新約聖書を編集したグループを「原正統派」と呼称する。これは参考文献代わりに読んだバート・D・アーマン著『Lost Christianities: The Battles For Scripture And The Faiths We Never Knew』による。知的好奇心をくすぐる面白い本なので、興味があれば読んでみてほしい。邦訳はされていないが、適宜翻訳にかければ誰にでも読めるのが時代の進歩である。

 

エビオン派とは、雑な説明をするとユダヤキリスト教徒の一グループだ。貧しいを意味するヘブライ語が由来のようで、禁欲的な生活を送っていたらしい。

彼らの際立った特徴は大きく三つ。

・律法の遵守

・養子縁組主義

・犠牲の廃止と菜食主義

そして僕が想像してしまうのは、キリスト教の出発点は、このグループではないかという勘ぐりだ。出発点とはつまりペトロであり義人ヤコブであり、使徒パウロが訪れたイスラエルの教団だ。

義人ヤコブが主導的な立場にいたことは使徒列伝にも記載があり、彼の実在は歴史家ヨセフスの記述にもあるように歴史的な事実として認められるだろう。彼はイエスの兄弟であったらしく、義の人だった。つまり律法を遵守する人だったようで、その立場は律法ではなく信仰を主にしたパウロとは隔たりがある。ヤコブパウロは率直に異なる教義を持っていたようだ。現在まで残り正統派とされるキリスト教の信仰はパウロの説いた異邦人への福音に基づくが、彼はイエスの生前を知らず、教団の指導者としては明らかに後発の立場にある。

実際にイエスの教えがそうだったかは分からない。イエスの歴史的な実在さえ確証はない。しかし重要なのは彼の実在ではない。キリスト教は少なくとも、イエスの死後に始まったのだから。そしてイエスという一人の男を特別な地位に据え、既存のパリサイ派サドカイ派エッセネ派とも異なる信仰を形成したグループがあったとすれば、それはイエスと面識があったと主張する直系の弟子たち、ペテロとヤコブが主導したイスラエル教団であろうと推察される。

 

律法の遵守はなんら不思議でない。イエス「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」 (マタイによる福音書第5章17節)と述べているし、直後に「はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、 律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」(マタイによる福音書第5章18節)とも語る。マタイによる福音書は律法の強烈な擁護者だが、この姿勢はイエスが律法を終わらせたと語るパウロと異なる。これらの矛盾した文言が正統派の福音に聖典として残るのも聖書の成立史を探る上で興味深い。

エスは生涯をユダヤ人として生きたし、彼の宣教の旅は終始ユダヤ人社会に留まっている。ナザレのイエスは律法を守るユダヤ人で、その弟子たちもまたユダヤ人だった。

養子縁組主義はこの文脈に則れば非常にシンプルな論理構成をしているように思える。少なくとも、三世紀に入ってようやく体系だった三位一体の教義よりか、神の相続人としての教義は幾分スマートに映る。

養子縁組主義の概要は単純だ。ナザレのイエスはヨセフとマリアと実子として生まれた。処女懐胎の教義はない。彼は律法を遵守しよく生きたため、洗礼者ヨハネの下で洗礼を受けた際に神の養子として相続を受け、キリストとなった。

相続の概念はユダヤ文化において極めて重要だ。アブラハムの子孫に相続される土地としてカナンの地は神から与えられる。

こういった教義の観点からすると、律法の軽視は問題外だろう。なにせこの教義によれば、イエスは律法によってキリストとなったのだから。

またマタイとルカでそれぞれ別の系譜でダビデからヨセフ、イエスへの血統が書かれていることを不思議に思う人もいると思う。なにせ処女懐胎の教義を採用するのであればヨセフからダビデに血統が繋がっていても意味がない。せめてマリアから繋がるべきだが、しかしマタイもルカも共に、ダビデの血縁はヨセフから繋がっている。これらはイエスが当然にヨセフとマリアの実子であると考えられていたのであれば、おかしな点はない。

 

ここで少し脱線してキリストという単語に注目したい。

キリスト――救世主と訳されるこの単語はもちろんギリシア語だ。ヘブライ語ではメシアという単語になるようだが、現在僕らがキリスト教をメシア教と呼ぶことはない。これは新約聖書ギリシア語を原典とすることにも由来するが、それ以外にも、キリストとメシアという単語には意味の相違が大きくある。ちょうど神道における神とキリスト教におけるGODとの違いのようなものだ。同じく「神」という言葉で通じるが、実際の意味は異なる。

どうにも本来メシアという言葉は、かなり限定的な言葉だったらしい。地上でユダヤ人の敵(直接的には支配者であるローマ帝国)を倒し新しいイスラエル王国を樹立する――そういう意味での救世主がメシアだ。

しかしギリシア文化圏におけるキリストは違った。というのも、イエスがキリストとして広がる前から既にローマ帝国内では数多のキリストが存在した。代表的なのはミトラ信仰だ。ミトラもキリストだった。ならばミトラは新しいイスラエルを建国するのか?もちろん違う。ミトラはキリストではあったがメシアではない。ミトラや他のキリストに見られる特徴は、地上的というよりかはむしろ精神的なものだった。

ユダヤ文化の文脈にあったメシアであるイエスを、ギリシア語で宣教を行う際に、似た概念であるキリストに単純に置き換えたわけではない。これらは相互に関係しあっていた(異端と切り捨てられるグノーシス主義についても、こういったギリシア文化と混じり合ったユダヤ人グループの潮流としてキリスト教成立以前から形成されていたようだ)。ともあれ、イエス・キリストは異邦人であるギリシア人によく広まった。

 

話は戻りエビオン派だ。彼らは菜食主義を採用していた。というのも、犠牲は廃止されたからだ。誰に? もちろん、彼らの信じるイエス・キリストに。

なぜユダヤ人が神から肉食を許されているかと言えば、それは犠牲であるからだ。血の犠牲だ。イエスはそれを自らを犠牲とすることで、犠牲を廃止したのだという。

ここに洗礼者ヨハネのグループとの関係が窺える。彼らが清めるために水を使用したのはなぜだろう。彼らはなにを食べていたのだろう。

エビオン派の使用したとされる福音書は現存しないが、反駁として数節が残っている。その中で、洗礼者ヨハネの食べ物を間違って書いていると、原正統派が指摘している。

現在僕らは洗礼者ヨハネが野蜜とイナゴのみを食べると知る。しかしエビオン派の福音書によれば彼は蜂蜜とケーキのみを食べると言う。

どこからケーキが出てきたんだと思うかもしれないが、ギリシア語においてイナゴとケーキはスペルが一語しか違わない。そしてこの場合におけるケーキとは、僕らが日常に食べるシフォンと生クリームの苺ショートケーキとは全然別物の――これはつまり過ぎ越しに食べる酵母なしのパンマッツァーに相当すると考えられる。

そして野蜜――これははっきり言えばマナに相当するものだ。出エジプトにおいて荒野を四十年彷徨ったモーセユダヤ人に神が与えた食べ物だ。

エビオン派の語る洗礼者ヨハネは明らかに出エジプトを重ね合わせている。そしてもちろん、小麦も水も油も、肉ではない。菜食だ。

実際にヨハネが蜜と油を混ぜたパンだけを食べていたかどうかはもちろん分からない。しかしイエスヨハネの密接な関係性は、四福音書全てに記述されていることからも、疑い難い。原始キリスト教団と洗礼者ヨハネのグループは、イエスヨハネの言葉を引用していることからも窺えるように、極めて親しかった。あるいはエッセネ派と呼ばれるグループがそうだったのかもしれないが、この点は文献もほとんど読めておらず、話の本筋からも脱線するため避けておく。

 

エスの死が犠牲の廃止にあるとすれば、復活は?

思うに、なぜパウロは復活の重要性をあれほど強い言葉で強調する必要性があったのだろうか。その言葉を各教会に手紙として送らなければならなかったのだろうか。そうではないと考えるグループが存在したからだ。ではそのグループはどのようなグループだったのか? 木端の些細な一集団であれば、彼がこれほど激しく糾弾することはないのではないだろうか。それはパウロの教団にとって十分に脅威であった。

預言者に復活した者はいない。地上での復活はそれまでのユダヤの文化には存在しないものだった。それは非常にギリシア的であった。

なにが言いたい?

キリスト教成立の初期において、イエス復活の教義はなかったと、僕は思う。あったとしても副次的なものに過ぎなかった。重要なのは彼の復活ではなく、死にあった。

彼の復活を強烈に要請したのは別のグループだった。その一つにパウロの教団があり原正統派が台頭した。エビオン派は隅に追いやられ、ヨルダン川を超えて歴史の狭間に忘れられた。

 

最後のほうがだいぶ雑に端折ったけれど、こういう穿った見方は楽しい。ある漫画の初期構想を現存する話から推測し復元するのを考えるとき、とてもワクワクする。

正確性はハナから問題ではないけれど、突拍子なければよいでもない。納得感だ。納得は全てに優先する。第二は好奇心をくすぐるか。そして外聞

ナザレのイエスが復活しなかったと考えるグループがキリスト教を創始したか――まずそんなことはないのだろうが、けれど。

 

想像することは楽しいものだ。

僕のXデーについて

Xデーという言葉がある。

いつがその日かは分からないが、その日には何かが起こるというアレだ。

自分の心の内を話すのが恥ずかしくて他人に言うことはないけれど、何を隠そう僕はあるXデーを心待ちにしている。

そんじゃそこらのXデーじゃない。僕の待つその日は、それはもう、とんでもない一日だ。

そんなXデーについて少し話したい気分になっている。きっと秋風のせいだろう。

 

待たれるXデーの性質を以下に箇条書く。

①その日がいつ来るかは誰もしらない。もちろん僕も知らない。

②その日になにが起こるかさえ誰も知らない。なにせ僕も知らない。

③けれどその日が来れば必ず、僕はその日がXデーだと理解する。

④これまでの僕の人生はその日のためにあって、同時に、その日以降の僕の人生は精々その日を向いて後ろ向きに逆行するに過ぎない単なる抜け殻のように成り果てる。

⑤その日は必ず訪れる。

 

これは本当に、僕にとっては切実な胸の内だ。

ちらと聞いて陳腐な宗教的信条に過ぎないと看過した人もいるに違いない。根本の発想として携挙やらノストラダムスやら史的唯物論やらと大差がない。将来に備えるほどの価値があり、準備や前進が価値を最大化するという思考には、これといった根拠がない。彼らにとってはそれでいいのだろう。真に重要なのはその日ではなく、その日に備える心構えや行動であり、議論はいずれ今現在に焦点を当てることに移行するのだから。

けれど彼らはその日になにが起きるのか、完全ではないにせよ、概要を知っている。

僕は違う。その日になにがあるのか、なにかがあるのかさえ、僕は知らない。

不意に思えば、なにもない一日でさえXデーになりえるのだ。

そしてその日は僕にとってあまりに決定的な価値をもたらす。僕という存在の価値がその日全てに集結するし、これまでの僕の行動の全てがそこに集約される。

待って、待つ。僕はこれでも待ちぼうけるのが好きな人間だ。気長に生きていたい。

いい日になればいいなと、よく思う。待つだけの僕という存在にいくらかの値打ちをつけてくれと願いもする。けれどその日に対しての邪推に価値はない。というのもその日以外に、少なくとも僕にとって、価値のあるなにかというものは、原理上ありえないからだ。

 

こういった馬鹿みたいに子供じみたXデーを胸に抱えて、日々を待ち放浪する人は僕以外にどれだけいるのだろうかと、時々考えたりもする。そういないだろうと思いつつ、一人か二人はいてもいいんじゃないかとも。

一切の価値のきらめきが取り払われた人。その日を希望だと考えることは間違っている。その日が訪れたら、もうなにも残らないのだから。そして訪れるまで、手元にはなにも持ち得ない。荒涼とした砂漠の遭難者のように飢え乾き、映る風景は乾燥しているような人。一人か二人は、いるんじゃないかと、たまに考える。

その日のためにできることはなにもない。なにが起こるのかわからないのだから、なにかに向けての努力など、できようがない。待つことだけが、できることだ。

 

こういう性質をよく考えて、恐らくこのXデーは、それを忘れて放棄する日を、後から気づいてそう呼ぶことになるような気がして仕方ない。

その日を捨てて初めて、僕はその日を境にあらゆる価値を手中に入れられるのだから。

するとXデーはそう遠からず訪れるのかもしれない。自分次第でその日は来るのだ。

……本当に?

そう考えても、左手の窓の外を眺めて、秋風に吹かれると、間違いと乾いた目に息を吐いてしまう。その日になにが起こるのかいつ訪れるのか――訪れるまでなにもわからないことこそ、僕の胸の内のXデー公理だ。

だから、Xデーはまだ来ない。

 

僕の考えるXデーはそういう乾いた一日だ。